日本一奈良丸・秋田見参・明治四十二年
明治末期から大正にかけて活躍した浪曲師・吉田奈良丸(二世)の、明治四十四年、三十二歳のときに発売したレコードの売り上げが、この年のレコード盤総生産枚数六十七万枚のうち、五十万枚を占めたというから驚く。超贅沢品だった当時の蓄音機の普及台数をかんがみると、驚異的な数字であり、浪花節の人気が日本のレコード産業の基盤を作ったといわれるのもうなずける。
奈良丸のレコードが飛ぶように売れたわけは、その節回しが上品で優美でありながら平易で、誰にでも簡単に真似ができたからという。レコードの普及によって、奈良丸の名も各地に広まり、全国津々浦々にファンを獲得していく。それにともない奈良丸ならぬ「奈良九」などという手の偽物も多く現れた。
浪花節の全盛時代であったが、ラジオもなく、生の声をきくことも難しい、レコードだけがその声に接することができる随一のメディアだった時代に、奈良丸は桃中軒雲右衛門とともに芸能界のスーパースターであった。
浪花節は当時の流行歌にも大きな影響を与える。大正三年、奈良丸の浪花節を歌謡曲調にした「奈良丸くずし」(別名・笹や節)がレコード化されて花柳界を中心に大流行。
「くずし」とは「替歌」というニュアンスの言葉だが、「奈良丸くずし」の作者については、大和郡山(奈良県)の芸妓がお座敷で即興で唄ったのが始めという説と、演歌師・添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の作とする文献もみられ定かではない。ちなみに唖蝉坊の「奈良丸くずし」には「月が出た出た月がでた セメント会社(アサノセメント)の上に出た 東京にゃ煙突が多いから さぞやお月さん煙たかろ」という歌詞もあり、これが盆踊りで有名な「炭坑節」のルーツとされている。
明治四十二年の桜花の季節、全盛期の奈良丸が秋田市に巡業に来た。

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小屋は柳町の凱旋座。大正初期に秋田劇場、戦後は秋田松竹映画劇場、その後秋田ピカデリーとなり、現在は駐車場になっている、すずらん通りの突き当りの地である。

凱旋座
演目は十八番(おはこ)の赤穂浪士「義士伝」から。本題に先だって秋田初見参の口上が述べられた。

和田、築地、旭川、雄物川、長町、土手長町、大町、柳町の凱旋座、新町、中谷地、梅の町(茶町)、川反、田中、赤沼、川口、楢山、扇の町(茶町)、千秋園(後の千秋公園)、亀の町など、御当地の風光と地名、町名、劇場名と自らの名を折り込んで、七五調の心地よいリズム感をともなった、奈良丸の朗々たる名調子が聞こえてきそうな美文である。
マイクロフォンという文明の利器が登場する以前の劇場で、奈良丸の口上に聞き耳を立てていた、凱旋座を埋めつくした観客たちの、万雷の拍手喝采が聞こえるようだ。
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関連リンク
なにわ人物伝 吉田奈良丸(二代)(上)
なにわ人物伝 吉田奈良丸(二代)(下)
「笹や節」(奈良丸くずし)試聴
江戸端唄・俗曲の試聴と紹介
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「秋田劇場」昭和七年正月映画
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