ディスコ夜光虫の時代

川端たぬき


新聞広告 昭和47年(1972)

昭和47年(1972)11月2日、協働社大町ビル一階にディスコ「夜光虫」オープン。これが秋田における本格的ディスコの誕生であった。ディスコではなくデスコとあるのが時代を感じさせる。



キャッチコピーが「夜の《六本木》をあなたに・・・」。「夜光虫」がオープンする前年、六本木に「メビウス」がオープン。生バンドとレコードの併用が普通だった従来のディスコに対して、「メビウス」は日本で初めてレコードとディスクジョッキーだけで営業。この六本木「メビウス」の成功を踏まえて同様な営業形態のディスコが次々に誕生していく。秋田の「夜光虫」もその影響のもとに誕生した。


新聞広告 昭和49年(1974)


新聞広告 昭和49年(1974)

秋田でのライブハウスの草分け的存在となる喫茶店兼酒類販売店「田中屋」。喫茶店チェーンを展開していたエルザの店舗は、秋田駅前店がコーヒーレストラン、仲小路店がコーヒーショップ、大町店がコーヒーレストラン、そして大曲店がコーヒースナックと記されているが、内容は全店変わらなかったと思う。「夜光虫」のコピーが「ROXY DISCO-INN」、まさにロキシー・ミュージック全盛の時代だった。



若者が集うプレイスポットだった当時の雰囲気が今も残る協働社大町ビル(現・協働大町ビル)。左手にエルザ、田中屋などが並び、突き当たりに「夜光虫」がスペースを占め、大町の夜に妖光を放っていた。

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Comments 2

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oton

こんにちは、久しぶりに拝見しました。
夜光虫より以前、45年頃かな、現第一会館の場所あたりに「コパ」という生バンドも出演するディスコがあったと思いますが・・・・。


二〇世紀ひみつ基地・管理人

ディスコという言葉が世間に広がる以前から、
朝日興産が経営していた「コパ」の初期は、秋田で初めての「ゴーゴークラブ」で、
壁に映像を投影したり、当時としては画期的な店だったようですね。

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  • 2008/04/12 (Sat) 23:18
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