友川カズキと能代バスケット

5月9日発売の『Number』703号に、友川カズキ(本名・及位典司)とバスケットボールに関する記事が、6ページにわたって掲載されている。

◆ナンバー・ノンフィクション◆
文◎藤島 大
友川カズキと能代バスケット「無償の放熱」



能代工業高校バスケ部元監督・加藤廣志の自伝『高さへの挑戦』(秋田魁新報社刊)に、新入生の友川が、先輩で能代工業伝説のガード・山本富美夫と一対一の攻防の練習をしているとき、やられっぱなしが悔しくて相手の額にかみつき流血させたという、友川ファンのみならず、能代高校バスケファンにはよく知られたエビソートが語られているが、これは当事者たちの記憶とは違っているのだという。
「私にも意地はあった。でも、かじったわけじゃない。たまたま歯がぶつかったんです。加藤廣志は表現者ですから。記憶なんて簡単に屈折するの、だから強いのよ」
 事件の当事者、山本富美夫も言った。
「近づいた時、歯がポンと当たっただけだと思うよ」
‥‥中略‥‥
「噛みついたりできないよ。抑え切れないから抱きついて歯がぶつかった。でも、その必死さはすごいよね」
 そして大和証券の女子チーム監督も務めた元突貫ガードは、キで始まる言葉を使った。
「やっぱり、あいつ、バスケットキ×××だったんじゃないか」
1971年、加藤監督の紹介で、魚屋でアルバイトをしながら、能代第一中学校バスケットボール部の外部コーチに就任。このときの教え子の一人が、能代工高三年時に三冠を達成し、住友金属工業に入社したあとは、オールジャパンの主力選手として活躍、現在はJBL日立サンロッカーズのヘッド・コーチである小野秀二である。

小野の同期生、永井正幸によると、日頃は穏やかな友川も、ことバスケに関しては常軌を逸した厳しさであったという。
「鬼、非情、非道。中学生で、胃潰瘍1名、胃炎1名、鼓膜破れたのも1名。小野秀二なんて体育館と校舎のあいだの通路でぶっ倒れちゃいましたよ。偶然、私が見つけましたけどね。だいたい及位さんも入院しているんですよ。胃潰瘍で。‥‥後略‥‥」
この時期、友川は中学生のコーチをしながらも、創作活動を続けていて、秋田市内のライブに呼ばれたり、広小路「秋田プラザ」でも叫ぶように唄っていた。バスケットに賭けるのと同様の情熱と狂気を言霊(コトタマ)にこめて。
「いまでも僕が教えているのは及位典司の受け売りです。シュートの時に爪が額に当たるのはダメだよ、とか、同じことを言ってますもん。‥‥中略‥‥まあ、あれだけの情熱で朝早くから自分のために付き合ってくれる人はいなかった。いまの私があるのはあのキ×××歌手のおかげです。死ぬまでつきあいはやめることにはならないだろうな」小玉一人(能代工→明大→新日鐵)

「僕が、バスケットにこれだけ入り込んだのは、やはり、あの人の影響がいちばんですね。命をかけて、それこそ、生きているって言ってみろ、というくらいの熱で指導してくれた」小野秀二
友川がコーチとして育てた二人の言葉である。「キ×××歌手」、および前述の「バスケットキ×××」という表現は、愛を込めた最大の賛辞だと思う。常軌を逸して「気が違う」ほどの情熱がなければ成しとげられないこともある。特に表現者にとってそれは大切なこと。そういう意味では友川の恩師である加藤元監督も、友川に負けず劣らずの「キ×××監督」であったからこそ、両者の間には通じ合うものがあったのだろう。
 友川カズキは、あのころ、無償の愛を生きた。金銭も名誉も地位も求めない。だから、そこにいた人間は引き寄せられた。自身の指導者への夢は半ばでついえたかもしれない。だが、その魂は教え子たちに引き継がれた。

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