広小路が中心商店街だった時代・1973

73.06 県民会館の土手から
昭和48年(1973)6月、日曜日の昼下がり、県民会館の土手から買い物客でにぎわう広小路を望む。
貸ボートを浮かべる穴門の堀の向こう、左から「日本生命ビル(カワイ楽器)」「秋田セントラルデパート」「古沢ビルディング(長崎屋)」「盛田かばん」「イワマ靴店」。

人通りの絶えることのなかった広小路。今と比べると隔世の感がある。

セントラルデパート
「セントラルデパート」については前回書いたので、今回は「長崎屋」の入る「古沢ビルディング」について。
鮮やかなレインボーカラーに彩られた五階までが「長崎屋」。地下から三階までが衣料品、四階は呉服、インテリア、寝具、そして五階が家電、陶器などの売場。
そのほか、地下に元祖あんパンで有名な「東京銀座キムラヤのパン」、最上階の八階が銀座に本店があった「レストランすずや」(後に長崎屋グループのファミリーレストランおあしす)。
当時の広小路で、見晴らしの良い上階の千秋公園側に窓を配したレストランがあったショッピングビルは、「セントラル」と「古沢ビルディング」。後に、増改築したショッピングセンター「丸三」の最上階にも、千秋公園を展望する「森永レストラン」が入居する。

1970 雑誌広告より(右上「ファミリーレストランすずや」)
AKT 秋田テレビが開局し、臨海地区で「秋田博覧会」が開催された昭和44年(1969)、「古沢ビルディング」が竣工し、秋田初の中央資本によるデパート「長崎屋秋田店」が開業する。
100発の花火が秋田の空にこだましたら、さあ!開店です〈華麗なる野生〉と書いて「インディアン・ルック」と読ませているヒッピー風ファッションは、時代を巡って今またブームになっている。
秋田一のおしゃれデパートを目指す長崎屋。広小路をすてきなおしゃれアベニューにぬり変えてしまいます。地階から五階まで300の広い売り場には“アッ”と目を奪うおしゃれとくらしの一級品で埋めつくします。
奥さまにはシックなツーピース、お嬢さまはこの秋の主流〈華麗なる野生〉(インディアン・ルック)、それにおしゃれヤングの君にはロングトルソーもあります。とにかく、あれもこれもすべて東京からの“特急便”。超スケールの品揃えです。新聞広告より
オープン当日、店頭に真っ赤な衣装のバニーガールが数百個の風船を空に放ち、入口ではブラスバンドが行進曲を演奏して客を迎え、「木内」「協働社」「本金」「セントラル」など地元商店は、セールを仕掛けて「長崎屋」を迎え撃った。
昭和56年(1981)売り上げの低迷により「長崎屋秋田店」撤退。その跡に、昭和58年(1983)若者向け専門店「スタジオパレット」オープン。

08.05
看板が外されて無人ビルとなった、旧「日本生命ビル」、「セントラルデパート」跡の駐車場、一階に「ICI石井スポーツ秋田広小路店」が入る「スタジオパレットビル」。
ツツジの成長が歳月の経過をものがたり、休日でも人通りの少ない広小路が時代の変化をものがたる。
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