廃墟ビル「和食会館」解体

川端たぬき

秋田市中央通りで、ずいぶん前から廃墟と化していた、旧「和食会館」のことを以前書いたが、最近になって周囲に足場が組まれ、ようやく解体が始まったようだ。おおかた駐車場にでもなるんだろう。



70年代初頭から、食堂・レジャー関連事業を幅広く展開した、「和食会館」を経営する「東洋グループ」について、昭和49年5月18日付の秋田魁新報に「東洋グループ、行き詰まる 負債額、四億円にも 過剰投資 相次ぎ不渡り手形」の見出しで記事が載っている。

記事によれば、昭和48年に2億円を投資して建設した、コンピューターゴルフ「東洋ゴルフガーデン」の経営不振が不渡りの原因という。


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「東洋グループ」の倒産後も一階の喫茶店「茶居珈」は営業をつづけ、二階には一時期「鳳龍飯店」が入居していた。

この区画で思い出深い店をあげると、始めての一眼レフカメラを買った「アキタカメラ」、その隣の SONY 専門店「シンソニック秋田」、向かいに移って「三光堂書店」「カメラのサトウ」、「とれびあん」と「ルフラン」はビルの二階にあった喫茶店。このなかで「アキタカメラ」だけが今もかろうじて営業を続けている。


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「和食会館」跡

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Comments 13

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モンコ55
はじめまして。

「とれびあん」と聞いてあまりの懐かしさにコメントいたします。

友人のお父様(当時某生保の支店長/転勤族)に連れられて
初めて「クレープ」と出合った喫茶店でした。
まだ幼稚園児だったにもかかわらずフォークとナイフで食した事が昨日の事のように思い出されます。

「第一ホテル」と共に素敵な思い出の一つです。

グッドラック

>たふらんけ様、おはようございます。

「とれびあん」と「ルフラン」、ほんとに懐かしい店名です。確か「王朝」という店もあったと思います。私のブログの中で、「龍鳳?」と書いた中国料理店は「鳳龍飯店」だったのですね(笑)

  • 2008/05/26 (Mon) 11:15
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ひろ
淋しいですね

秋田を離れて30年になります。 <茶居珈>イラストに描いてあった道沿いのテーブル席に座ったことがあり、ひたすら懐かしい響きがします。 6月初め秋田市を訪れる予定ですので、廃墟になったとしても和食会館の茶居珈跡地を、この目に焼き付けるつもりでいました。 とても残念です。

二〇世紀ひみつ基地管理人

モンコ55さん グッドラックさん ひろさん
レスどうもです

この地区のビルには喫茶店が集中していましたね。

まず交差点角にあった「学生協ビル」二階に「ルフラン」
その西隣の「NK ビル」二階に「王朝」(一階・ジーンズのドン)
さらに西隣の「加藤ビル」二階が「とれびあん」(一階・マルナカ薬局)

「学生協ビル」は解体されて、「秋田センタービル」となり、
老朽化した「NK ビル」「加藤ビル」は現在、無人ビルと化しています。

  • 2008/05/26 (Mon) 20:36
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トレビアン、懐かしいすねぇ、女房と出会った場所だっす。
確か、同じ名前の喫茶店がもう一軒あった気がします。

らむぜ

和食会館っていう建物だったんですか。
ていうより、コンピューターゴルフが気になります。

  • 2008/05/28 (Wed) 23:09
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ミドリの戦車

三光堂で立ち読みするか、カワイ楽器でLPを視聴させてもらった後、よく「ルフラン」で粘りました。県立図書館が移転する前でしたから、あの周辺で学校帰りに図書館通いの友達(♂&♀)に会う確率は高かったです。そのために図書館に通ってたりして。

  • 2008/05/29 (Thu) 00:08
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二〇世紀ひみつ基地管理人

む さん
「とれびあん」と同名の喫茶店があったのは、中央通りの駅前側、ビルの二階なんですが、
そちらはカタカナ表記の「トレビアン」で、経営者も別だったと思います。

らむぜ さん
コンピューターゴルフというのは、当時話題になった、
大型スクリーンに投影されたコースに向かってボールを打つ、
バーチャルゴルフシステムでしょうね。

ミドリの戦車 さん
当時は学生が多かったですね。
赤十字病院が移転してからというもの、このあたりの飲食店も少なくなりました。

  • 2008/05/29 (Thu) 20:36
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a-quita

このビル解体現場にて、先週火災が発生しました。
仲小路は通行止めになり、駅に送る友達とともに偶然目撃しました。あたりは騒然としていて、夕方前でしたが通行止めの影響でかなり道が混みました。

現在、解体工事の再開はしていない模様です。

  • 2008/06/11 (Wed) 16:31
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二〇世紀ひみつ基地管理人

解体作業中に水道管を切るつもりが、あやまってガス管を切ってしまったとかで、
ガス爆発の危険があると、一時は全面封鎖されたらしいですね。

  • 2008/06/11 (Wed) 20:28
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名無しさん

偶然にも秋田市ルフランを見つけて懐かしい思いです。40年以上も前の学生時代に講義をさぼって良く行ったものです。オールバックで上品なマスターが入れてくれた紅茶を飲みながら、時折、自らがパリで生録したオープンテープを聞かせてくれました。

  • 2017/04/08 (Sat) 12:32
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ネコ妻
ルフランのこと

 こんにちは。
 このブログ、ほとんど毎日チェックしていますが、ルフランのことは初めて目にしました。秋田を離れてすでに四十年が過ぎましたが、高校時代に初めて行ったルフランのことは忘れられません。↑の方の「オールバックで上品なマスター」のこともよく覚えています。それで思わずこのコメントを書こうと思い立ちました。確か、川尻さんという方で、店名はやがて留仏蘭になり、その後山王の信田屋の近くに移られたと記憶していますが、帰省の都度探してももう見つかりません。それもそうですよね、お元気ならば90代ではないでしょうか。あの頃、店内の壁には、土方巽の「東北大歌舞伎」(だったかな?)や前衛舞踏の何だかおどろおどろしい漢字ばかりのポスターが貼られていたり、かたや黒崎昭二さんのシャンソン愛好クラブの月例会が開かれたりしていました。地方の一高校生にとっては広い世界へのイニシエーションの場でした。
 月例会には必ずピアフのLPレコードを持ってくる方がおられ、また、ボードレールの「踊る蛇」などの文学シャンソンに触れたのもその例会ででしたし、マスターは越路吹雪、古賀力の日本語のシャンソンから、ダミア、グレコ、バルバラ、フランソワーズ・アルディに至るまで、たくさんの歌を聴かせてくれました。
 戦争が終わって、私たちの両親の世代が西欧文化をはばかることなく吸収できる時代になって、その開放感と喜びが続いていた時代・世代の尻尾にぶら下がって、とても良い経験をさせてもらったのだと今にして感謝とともに思い出します。戦後の労音運動とも関わりがありそうでした。懐かしいです。
 川端たぬきさん、ありがとうございます !

  • 2017/04/29 (Sat) 09:51
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名無しさん

ネコ妻様
 
 ルフランのこと、マスターのこと、情報ありがとうございました。私はお客が少ないときは、マスターにエディットピアフのパダムパダムを良くリクエストしていました。本当に懐かしいですね。

 また、講義をさぼってジャス喫茶モナミにも良く通いました。気さくなマスターからはジャズ入門としてデキシーランドの火消し5人組から教えて頂きました。そして、圧巻はビルエバンスとの遭遇でした。当時の教育会館で開催されたコンサートに行った際、エレベータに本人とマネージャーと思われる女性の2人が地下から乗り合わせてきました。これが、ビルエバンスの最後の訪日になったようです。
 今は当時手に入れることが出来なかったオーディオでレコード、CD、テープを聞いています。これも秋田の文化的な土壌に触れる機会があったからこそと感謝しております。

  • 2017/05/05 (Fri) 15:45
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