ケヤキ並木のレストラン・那波家水汲み場

川端たぬき


08.07

那波家の水汲み場を見下ろし、ケヤキ並木がこんもりと茂る、秋田市大町二丁目橋のたもと、つい最近まで「秋田コミュニティFM」のスタジオだったガラス張りの建物を改装したレストラン。

建物の一角で営業していたレストラン「和我母」(わがママ)が、「秋田コミュニティFM」の移転にともない、スペースを広げて新規オープンしたもの。


06.11 水汲み場とケヤキ並木

川反の各町にあった水汲み場を「カド」といい、今も残る那波家専用のものは船着き場も兼ねた立派なもので、米、炭などの物資が陸あげされたとのこと。

もともと湿地帯であった久保田は良質な地下水に恵まれた場所が少なく、外町(とまち)の大半の家は旭川の清流を飲料水などの生活用水として頼ることを、明治四十年代に上水道が通じるまで続けた。


06.11 水汲み場とケヤキ並木

那波家が防火用に植栽した初代のケヤキは明治元年の火災で焼失、それが再び芽生え今に至るというから、樹齢は百四十年ほどになる。

昭和三十二年(1957)、対岸にあった秋田県庁の火災のとき、防火林は火の粉と熱風を見事に防いで、駆けつけた人々に感銘を与えたという。


04.06 土手長町通りから二丁目橋

レストランおよび隣接する小公園が完成する前、この地には那波家の土蔵が建ち並んでいた。山王大通り側から酒蔵、文庫倉、建築資材を収納した木蔵の土蔵三棟。この酒蔵を利用した思われる酒屋のことが昭和初期の新聞記事にみえる。那波酒造の清酒(秋田川・後に銀鱗)を飲ませたらしい。

昭和四十年代の山王大通り拡幅にともなう、二丁目橋の架け替え工事を前にして、老朽化した土蔵は撤去され、ケヤキの大木二本も切り倒される。

取り壊された土蔵跡地の一角に建てられたのが、アキタニューグランドホテル直営レストラン「ジャルダン」。


1972 新聞広告

「ジャルダン」が撤退したあと、貸事務所などを経て、平成十年(1998)「秋田コミュニティFM」開局、そして今年(2008)の六月、寺内三千刈に移転、その建物は再びレストランとなった。


08.07 二丁目橋及びケヤキ並木



_________

関連記事

人徳の商家・那波家

川反情緒・風景を読む

共用栓のある風景・大町三丁目通り

皇室御用達の宿・アキタニューグランドホテル



Comments 0

There are no comments yet.

Trackbacks 1

Click to send a trackback(FC2 User)
この記事へのトラックバック
  •  身支度を少しずつ
  • こんにちは。 先日、転職活動に目処がつきました。 そして、(まだ時間がありますが)来春、秋田県を出ることに決めました。 …ということは...
  • 2008.09.01 (Mon) 22:38 | Blog 哲学カフェ:秋田館