池永小路の闇にタヌキを見る
昨日の夜8時頃、池永小路(秋田市中通5丁目)を散歩していると、側溝のあたりをなにやら小動物がうごめいている。猫かと思って声をかけるが反応もなく、よく見ると子犬のようでもある。
逃げ込んだ駐車場の暗闇を凝視しつづけ目が慣れると、こんな街中にまさかとは思ったが、そいつは紛れもないタヌキの子どもであった。

08.08.17 07:53:43 PM
市の中心部でタヌキを見つけたのは、もう7年ほど前の夜中、寺町の寺の門前にちょこんとお座りしていた大きなタヌキに遭遇して以来のことだ。あのときはカメラを携帯しておらず、近所の人に聞いても、このあたりでタヌキなんて聞いたことも見たこともないとのことであったが、間違いなくあれはタヌキだった。
寺町ならば緑も比較的に豊富で、寺の縁の下などすみかとなる場所に事欠かないが、この辺ではどこをすみかとして、どんな生活をしているんだろう。飼いタヌキが野生化した可能性も捨てきれない。
●市内に現れたタヌキのこと
近年秋田市中心部に出現したタヌキについて、魁新報の見出しを検索すると、1984年11月1日 朝刊「野生タヌキ飲食街をかっ歩 大捕物の末に御用 早朝の川反で一騒動」。1993年10月3日 朝刊「“新天地”求めタヌキ広小路へ 千秋公園から子別れか フライドチキンがお気に入り」などが出てくる。
千秋公園には、はたして今も生息するのだろうか。その頃まで千秋公園本丸に生息していた野生リスを今は見ることができない。
昭和32年(1957)5月には、上肴町(現・大町一丁目)「県水産市場」にて、魚をしこたま食べて、まるまると太った大ダヌキが捕まった。夜な夜な現れて魚を食い荒らす、正体不明の動物がいたため、ワナを仕掛けて捕まえたこのタヌキはその後、千秋公園内の児童動物園に寄贈されている。
このタヌキ騒動について、上肴町生まれの明治女・鷲尾よし子女史が取材している。
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上肴町・魚市場
川反にタヌキの慰霊碑
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寺町ならば緑も比較的に豊富で、寺の縁の下などすみかとなる場所に事欠かないが、この辺ではどこをすみかとして、どんな生活をしているんだろう。飼いタヌキが野生化した可能性も捨てきれない。
●市内に現れたタヌキのこと
近年秋田市中心部に出現したタヌキについて、魁新報の見出しを検索すると、1984年11月1日 朝刊「野生タヌキ飲食街をかっ歩 大捕物の末に御用 早朝の川反で一騒動」。1993年10月3日 朝刊「“新天地”求めタヌキ広小路へ 千秋公園から子別れか フライドチキンがお気に入り」などが出てくる。
千秋公園には、はたして今も生息するのだろうか。その頃まで千秋公園本丸に生息していた野生リスを今は見ることができない。
昭和32年(1957)5月には、上肴町(現・大町一丁目)「県水産市場」にて、魚をしこたま食べて、まるまると太った大ダヌキが捕まった。夜な夜な現れて魚を食い荒らす、正体不明の動物がいたため、ワナを仕掛けて捕まえたこのタヌキはその後、千秋公園内の児童動物園に寄贈されている。
このタヌキ騒動について、上肴町生まれの明治女・鷲尾よし子女史が取材している。
‥‥前略‥‥さてさて、その怪しげな男は、捕らわれた親を探しに来た、人間に化けたタヌキだったんでしょうかねぇ。
私は昔の話も思い出して県水市場へ行きました。そこで、このタヌキは何ぼう位になるものか、いつどこから来たものか、一匹か、夫婦ものか、子があるかを聞いてみたけれど誰も知らないという。
どこに住んでいるかしらと話してみたが、どうもわからないが、市場は、通町に面した方と肴町に面した両方に入口があり、電気冷蔵の土蔵が二つ奥ふかくにあり、水がいつも流れて、この水が土管に入って往来の地下のマンホールに流れてゆくらしく、もしかしたら、マンホールに住んでいて夜な夜なふんだんにある魚類を食べに来ていたのではないだろうか、とも思われる節もあった。
聞きたいと思った事は何もたしかめる事が出来なかったし、狸と狢と違うだろうとか同じだろうとかで話に花を咲かしたが、たゞ狸というものは一種異様な匂いのするものであるという事を話していた。
も一つ不思議な話を若い衆が教えてくれた。
狸を生捕りにして、動物園に寄付した次の朝、いつもの通り、市場は三時頃表戸を開けて営業を開始したそうですが、多勢の男衆が電気冷蔵の土蔵から魚をせっせっと運び出している最中、見なれない若い男の人が、ウロウロと歩き廻っていたそうですが、みんなは多分魚を買いに来た新しいお客筋だろう位に思っていたが、夜が明けかかってお客が来る頃になったら、いつの間にか、その男は姿を消していたというのでした。
勿論言葉を交した人も居らず、ただその男はニヤニヤし乍ら歩き廻っていただけで姿をかくしてしまったという話でした。雑誌『秋田』(鷲尾よし子主筆) より
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