ネオン塔の下で・木内デパート

川端たぬき



昭和30年代から、木内デパート屋上遊園地の展望塔の上にそびえ、夜ともなれば広小路に美しき輝きを放っていた、なつかしのロケット形ネオン塔のことが、ネオン設置間もない頃に発行された『秋田百点』という商店PR誌に載っている。

ねおんの話 --木内デパート提供--

‥‥前略‥‥

 現在の日本のネオンは街の美観を高めるべきものが、反対に美観を損なうようなものが多く掲げられております。広告ネオンは民衆の目を楽しませる街の芸術でなくてはなりません。広告塔をあり合わせの建築物の上に勝手に作ってもよいわけではなく建築物の美とネオンの美が調和してこそ真の美しさが表現されるのです。



 このような点に細心の気を配った木内デパートのネオンは五階建ての白色美と良く調和して設計、デザインされています。このネオン塔は総工費一千万円で地上五十五メートルの高空に立てられているため、デザイナーは美観と堅牢さをかねた足場という点を考慮して風速七十メートルの強風にも耐えうる塔の上に、“ロケット型”のものを上げております。そのネオンは赤と白のネオン管二千本を使い二色の光線が互いにミックスして四色の効果を出したもので、総体を柔らかな水色で、“光りのパレット”を描きだしウエットな色彩と豪華さで秋田市民の目を楽しませてくれています。
『秋田百点』より
昭和30年代中頃、教員の初任給が一万円に満たない時代に、総工費一千万円という金額が、当時の木内の繁栄ぶりをうかがわせる。



たかだか五階建相当の展望塔とはいえ、周囲に高層ビルのなかった時代は見晴らしが良く、ガラス張りの最上階にはコイン式の望遠鏡も置かれ、その上にそびえるネオン塔の瞬きは、はるか遠くからも確認できた。

市街のランドマークとして、高度経済成長期のシンボルのよう光り輝いていた、あのネオン塔が消えたのはいつのことだったか・・・。


08.12 二階以上が封鎖されて久しい木内


08.12

※サーバーのレンタル期間が終了して消滅した画像掲示板「二〇世紀的画像板」から、2004年10月の投稿を書き直してして再掲。

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