春を告げる「だるまさん祭り」

20050412014647.jpg

福一満星辻神社 だるま祭り
四月十二日 宵宮
  十三日 本宮
両日とも朝七時から夜九時まで
秋田市川反一丁目

星辻神社は境内に天保一四年(1843)と刻まれた手洗石ある古い神社だが、藩政期は聖護院(清光院)という修験の堂宇で、本尊は虚空蔵菩薩であった。そのため、お年寄りはこの神社を「セイゴイさん」とか「セイコウさん」と呼ぶ。明治維新の神仏分離の際に、虚空蔵信仰と縁の深い北斗七星、明星信仰の神社に衣替えし、星辻神社と名をかえ今に至る。

20050412014700.jpg
昭和四十年代の「だるま祭り」
今はコンビニ袋に入れられるが、このころは裸で持ち帰った

境内で「だるま」が販売されるようになったのは、明治になってからで、明治十九年の俵屋火事のあと、外町の火伏せの神さまとして急速に信仰を集めたといわれる。「火伏せだるま」の異名があるように、祭典の日には必ず雨が降り火難を防ぐと伝えられ、雨が降らないと大火があるともいわれる。

上肴町に明治二十八年に生まれた、文化人・鷲尾よし子は明治期の「だるまさんの祭り」の様子を書き残している。

 秋田市で春一番のお祭りは、一丁目川反の星辻神杜の「聖護院のだるまさん」のお祭りである。おまつりそのものより、重苦しい冬から解放された喜びを証拠立てるように嬉しがる。四月十二日の夜、
「サア、行こ行こ。せいごいさんのおまつりさ!」
と若いものたちがそわそわめくと、子供達が
「おらも行くう!」と、うなる。祖母が、
「赤いいしょう着て!」と晴れ着を出してくれる。一、二丁目先のお宮まで行くのにも晴着に着かえるのは、神仏を崇めて敬意を捧げるためであった。私は母の妹の叔母につれて行って貰った。
 春初めてのお祭りには、人がぞろぞろと出ていた。古いお宮にまずおまいりしてだるまさんを買う。屋台店が並んでいるが、まだアセチリンがない時代で、ローソクでうすぐらかった粗末な売台には、このお祭りにつきもののウチワ餅が、並べられていた。お餅を将棋の駒型に切ったのへ、黒砂糖をネットりつけて串にさされている。それにカルメやき、軽やきも賑かに見えていた。
 私は叔母とだるまさんを大事にして帰ったが、通町角で、ウチワモチをつけられても泣かずに帰った。が、みんなに笑われてしまって、泣きそうになったら、祖母が拭いてくれながら、泣かなかったことをほめてくれた事を思い出す。
雑誌「秋田」(鷲尾よし子主筆) 昭和五十年二月号より

ここに出てくる「ウチワ餅」という名物は、黒蜜をたっぷり塗った押し餅で、悪ガキどもが、娘たちの晴着にこれをペタペタとつけるイタズラが流行、あまりのひどさに警官が見張りに立つ始末であったという。



続・春を告げる「だるまさん祭り」


沈丁花の香りはダルマ祭りの記憶とともに





しゅうきち

雨雨降れ、もっと降れ~

毎年、不思議なことに雨が降るんですよね、だるまさんのおかげなのでしょうか。昨年の放火を思い出すたびに残念な思いがあります。

後ほど、トラックバック頂けますか?

2005.04.12 Tue 07:38
しゅうきち

ありがとうございました。

さっそく今夜行こうと思っています。

2005.04.12 Tue 12:18
-

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2005.10.21 Fri 17:17
毎年4月12日、13日は秋田市川反にある星辻神社でだるま祭りが開かれ、この日には、商売繁盛と家内安全を願って火伏せのだるまを買い求める人で賑わいます。明治末から続く行事で、この日は火伏せ信仰により雨が降ればその年に大火はないと言われていていますが、ここ...
2005.04.12 (Tue) 12:17 | しゅうきち's きまぐれ見聞録