春を告げる「だるまさん祭り」

福一満星辻神社 だるま祭り
四月十二日 宵宮
十三日 本宮
両日とも朝七時から夜九時まで
秋田市川反一丁目
星辻神社は境内に天保一四年(1843)と刻まれた手洗石ある古い神社だが、藩政期は聖護院(清光院)という修験の堂宇で、本尊は虚空蔵菩薩であった。そのため、お年寄りはこの神社を「セイゴイさん」とか「セイコウさん」と呼ぶ。明治維新の神仏分離の際に、虚空蔵信仰と縁の深い北斗七星、明星信仰の神社に衣替えし、星辻神社と名をかえ今に至る。

昭和四十年代の「だるま祭り」
今はコンビニ袋に入れられるが、このころは裸で持ち帰った
境内で「だるま」が販売されるようになったのは、明治になってからで、明治十九年の俵屋火事のあと、外町の火伏せの神さまとして急速に信仰を集めたといわれる。「火伏せだるま」の異名があるように、祭典の日には必ず雨が降り火難を防ぐと伝えられ、雨が降らないと大火があるともいわれる。
上肴町に明治二十八年に生まれた、文化人・鷲尾よし子は明治期の「だるまさんの祭り」の様子を書き残している。
ここに出てくる「ウチワ餅」という名物は、黒蜜をたっぷり塗った押し餅で、悪ガキどもが、娘たちの晴着にこれをペタペタとつけるイタズラが流行、あまりのひどさに警官が見張りに立つ始末であったという。秋田市で春一番のお祭りは、一丁目川反の星辻神杜の「聖護院のだるまさん」のお祭りである。おまつりそのものより、重苦しい冬から解放された喜びを証拠立てるように嬉しがる。四月十二日の夜、
「サア、行こ行こ。せいごいさんのおまつりさ!」
と若いものたちがそわそわめくと、子供達が
「おらも行くう!」と、うなる。祖母が、
「赤いいしょう着て!」と晴れ着を出してくれる。一、二丁目先のお宮まで行くのにも晴着に着かえるのは、神仏を崇めて敬意を捧げるためであった。私は母の妹の叔母につれて行って貰った。
春初めてのお祭りには、人がぞろぞろと出ていた。古いお宮にまずおまいりしてだるまさんを買う。屋台店が並んでいるが、まだアセチリンがない時代で、ローソクでうすぐらかった粗末な売台には、このお祭りにつきもののウチワ餅が、並べられていた。お餅を将棋の駒型に切ったのへ、黒砂糖をネットりつけて串にさされている。それにカルメやき、軽やきも賑かに見えていた。
私は叔母とだるまさんを大事にして帰ったが、通町角で、ウチワモチをつけられても泣かずに帰った。が、みんなに笑われてしまって、泣きそうになったら、祖母が拭いてくれながら、泣かなかったことをほめてくれた事を思い出す。
雑誌「秋田」(鷲尾よし子主筆) 昭和五十年二月号より
雨雨降れ、もっと降れ~
毎年、不思議なことに雨が降るんですよね、だるまさんのおかげなのでしょうか。昨年の放火を思い出すたびに残念な思いがあります。
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