川反に怪しき“人造人間”現る!

昭和六年 新聞広告(部分)
戦前まで川反五丁目にあった映画館「演芸座」の新聞広告。
ロボット来る!関東大震災、そして世界恐慌を経た昭和初期、深刻化する社会不安を背景に、退廃的な「エロ・グロ・ナンセンス」の風潮が広がり、カフェーやダンスホールなどが流行する街角にはモガ・モボ(モダーンガール・モダンボーイ)が闊歩し、新聞の見出しにも「エロ・・・」「グロ事件」などという表現がさかんに使われるようになる。
大実演
当年一歳 身長八尺 重量五十二貫
尖端をゆく グロレビュー 人造人間
そんな昭和初期、映画館では映画の合間にレビュー(歌・踊り・寸劇など)を上演するのが慣例となっていて、この「人造人間」の実演も、美人ダンサーとセットでパラマウント社により派遣された出し物であった。
一方、銀幕では、米国の冒険家リチャード・バードの南極探検を、パラマウント社のカメラマンが独占撮影したドキュメント「バード少将南極探検」を上映、大町二丁目「本金」のショーウインドウに、バード少将が探検に使用した装備品の実物と記念品を展示して宣伝に力を入れた。

昭和六年 新聞広告(部分)

同時上映は「怪騎手」「里見八犬伝」「トーキー漫画」(アニメ)など、子どもらが喜びそうなプログラムが組まれているが、「演芸座」でそれを実際に見た、楢山生まれの新聞記者・洞城庄太郎氏が、幼い日の記憶をもとに随筆をしたためている。
‥‥前略‥‥「演芸座」と「南極探検」「ロボット」「ザッツ・オーケー」の組み合わせからしてこれは、昭和六年の記憶に間違いないだろう。映画館の闇の中から突如として現れたロボットの姿は当時の子どもの眼に、新聞広告の宣伝文のように、ずいぶんとグロテスクなものに映ったようだ。
正月特別番組の時は演芸座から横町、五丁目橋まで長い行列になって入場を待つ観客が立ち並び、この中にはきれいに着飾った若い娘さんたちもおり、桃割れを結ったお嬢さんも多く並んでいたものだ。
私が始めて活動写真を見たのは昭和二、三年のころで学校から優待券をもらってバード少佐であったか、アムンゼンかの「南極探検」を入場料三銭で見た。幕間に舞台の上下から二基のロボットが出てきて「だってあわずにゃいられない(中略)オッケー、オッケー、ザッツオッケー」と人造人間特有の声で歌ったので、驚いて帰ったのを覚えている。
‥‥後略‥‥洞城庄太郎『秋田の昔有情』秋田文化出版・昭和59年刊
ロボット特有の機械的な声で歌ったという曲が、昭和五年発売の流行歌「ザッツ・オーケー」。先端をゆくロボットと芸者歌謡風の曲という、なんともナンセンスかつミスマッチな組み合わせが、いかにも昭和初期の「エロ・グロ・ナンセンス」な時代の退廃的なムードを醸し出していて面白い。
だって逢わずにゃ いられない
思いいでくる 二人なら
明日という日も 待ちかねる
そんな心で 別れましょう
いいのね いいのね 誓ってね
オッケー オッケー ザッツ・オーケー
ザッツ・オー・ケー(THAT'S O,K,) 河原喜久恵
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関連リンク
リチャード・バード - Wikipedia