本丸の桜花のもとの花七輪

川端たぬき



「(千秋公園)本丸の名花」のキャプションが添えられた、大正のはじめころに発行された絵葉書より。

地形から察するに撮影地点は本丸の西側、與次郎稲荷神社裏手に違いない。この地点から右手に眼を向けると「秋田招魂社」が鎮座し、正面のゆるやかな坂道を右折して百軒長屋跡を進めば、当時の女学生が、その情緒ある風情から「しんみりが岡」と名づけたという御隅櫓跡に至るわけだ。

左手にのれんの下がった茶店(料亭)が建つ。大正期に本丸に存在した料亭といえば「小田久亭」、それが昭和に入って「柏木」と変わり、廃業して今は民家。公園内に民家や料亭が存在する理由は、千秋公園が佐竹家所有地だった時代に契約を結んだため。

盛りを過ぎた桜花のもと、七人の川反芸者が桜をあしらったおそろいの着物姿で写っている。



一番手前が貫禄充分な芸者さん、仲良くお手々をつなぐ中央の二人は幼さの残る半玉(はんぎょく)さん、そして右手の三人はまだ幼い見習いの下地っ子(したじっこ)。

半玉さんは関西でいう舞妓さんのことで、玉代(ぎょくだい)つまり料金が芸者さんの半額だったことからの命名。「雛妓」とも表記し「おしゃく」さんと呼ばれたた半人前の半玉さんは、十八から二十歳前後で一人前の芸者さんに昇格する。




撮影地点 2009.05



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