洋食屋「千秋軒」仲小路ビルに復活・川反かめ清

仲小路ビル 10.07
この春(2010)にリニューアル・オープンした仲小路ビルの一階、以前は「弥助そば」が入っていたスペースに7月中旬、川反の老舗割烹「かめ清」が経営する洋食屋「千秋軒」がオープンする。

10.07
店頭の貼り紙によれば・・・
創業明治十九年、今年で一二四年の歴史を数える割烹かめ清。明治34年、川反四丁目の料理屋「亀清」(現・かめ清)が、西根小屋町(現・中通)に洋食屋「千秋軒」を開店、一階に撞球場(ビリヤード場)のあるハイカラな店だったという。
そんな割烹かめ清が明治三四年にオープンしたのが「西洋料理 千秋軒」。
そして今年、平成二十二年七月十六日。一〇九年の時を経て「千秋軒」がここに復活。
「千秋軒」は川反四丁目に明治11年創業の「与階軒」(明治19年、俵屋火事で焼失)に次ぐ、市内二番目の洋食屋だったが、明治40年代初頭に経営不振により廃業。間もなく開店当初からコックを務めていた綾部八十八が看板を引き継ぎ、川反五丁目の西側に「千秋軒」を再開する。

「千秋軒」川反五丁目時代

書籍広告 大正14年

繁栄・秋田県秋田市「いろはかるた」より

一階・和風ダイニング「さい賀」二階・割烹料理「かめ清」05.10
「かめ清」は市内に現存する料理屋のなかでは、曼荼羅小路(現・山王大通りの一部)の「志田屋」(明治初年創業)に次ぐ、古い歴史を有する老舗料理屋で、戦前は「亀吉屋」という芸妓置屋も兼業。その前身は染物屋であったが、料理屋へと転業したいきさつについて、かつて川反で活躍した元芸妓が、昭和30年代初頭の聞き書きで次のように語っている。
亀清(現・かめ清)の初代は、東京で栄楽という落語家だった。田中町の劇場小屋に五六人で営業に来て染物屋のオテツさんという娘さんが踊りの名手で、芸がとりもつ縁というか、恋仲になり一緒になって今の亀清を開業した。栄楽は芸人だったので、新橋や柳橋の芸妓街を見ているだけあって、川反を東京に負けないようにと努力した開拓者であった。当初は染物屋だった「亀清」(雑賀(さいが)家)に婿養子に入った、東京の栄楽という落語家が料理屋を始め、のちに「千秋軒」を開業したことは、他の資料にもあるので間違いないだろう。このようなえにしもあってか、「かめ清」では、着物姿で落語や舞踊などの伝統文化と日本料理を楽しむ「川反夜会」という粋なイベントを定期的に開催している。

繁栄・秋田県秋田市「いろはかるた」より

亀清(現・かめ清)明治末頃
板と丸太の杭で土留めされた川岸には、川反のシンボル・柳が枝を垂らし川面に影を落とす。

川反四丁目「かめ清」 09.05
川岸の風情はすっかり消えてしまったが、旭川をのぞむ「かめ清」の裏には往時の川反を偲んで柳が植えられている。

四丁目橋から三丁目橋を望む 大正後期

四丁目橋から三丁目橋を望む 左手に「かめ清」05.11
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2017.04 追記
2017年3月20日「洋食屋 千秋軒」閉店
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