千秋学園・・・金照閣そして・・・金照寺山麓今昔

10.06
羽越本線金照閣踏切。線路の向こうは金照寺山、後ろを振り向けば牛島商店街に突きあたる新屋敷(しんやしき)小路、左手に歩を進めると楢山寺小路。金照閣踏切の名は、踏切を渡ってすぐ右手にあった温泉旅館「金照閣」に由来する。
まずは今から100年前にタイムスリップして、この場所に刻まれた記憶をたどってみよう。
●陶育院・千秋学園の時代

金照寺山より陶育院を望む 明治末期
見渡すかぎりの田圃が広がっていた金照寺山の麓、河辺郡牛島町の田圃 3.000坪を県が買収し、明治45年(1912)「秋田県陶育院」落成。明治37年、手形新町の旧塾舎を借りて創立した陶育院は、不良少年や、その恐れのある児童を収容し更正指導する全寮制の、今でいう児童自立支援施設。

金照寺山より陶育院を望む 大正5年
大正5年(1916)「陶育院」北西の一郭を羽越線が通ることとなり、建物全体を40メートルほど後方に移動。
昭和8年(1933)「秋田県立千秋学園」と改称。
昭和30年(1955)人家も少なく閑静で教育に最適な環境であった同地も、永い年月を経て人家が迫り、土地も手狭となったため、秋田市新屋割山に移転。
●金照閣の時代、そして・・・
「千秋学園」が移転して間もなく、跡地に割烹旅館「金照寺山温泉」オープン。市内で材木商を営む佐藤敬繁氏が創業、のちに敬繁氏の子息で元衆議院議員の佐藤敬夫氏が経営にあたった。

「金照閣」全景 昭和33年頃

「金照閣」庭園 昭和33年頃
中央に池を配した回遊式日本庭園は、東由利の旧家の庭園を移設したもの。九州産の景石は海路はるばる酒田港に陸揚げし、港から陸路を東由利まで運んだという。

「金照閣」浴場・ホール 昭和33年頃

「金照閣」会議室・広間 昭和33年頃
泉質・含硼酸重曹弱食塩泉、効能・リウマチ、皮膚病、胃カタルなど。
入湯料・大人50円 小人30円
宿泊料・素泊 800円 二食付 1.000円より
(創業当時の料金)

金照寺山より温泉坂と「金照閣」 昭和33年頃
昭和32年(1957)旅館名を一般公募し、圧倒的多数を占めた「金照閣」を採用。
昭和35年(1960)裏庭に約200坪の有料ゴルフ練習場をオープン。

金照閣 撮影・昭和50年(1975)国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省(C)

書籍広告 昭和55年

書籍広告 平成2年
1980年代、ラドン温泉・うたせ湯・サウナなどを新設した多目的温泉「クワハウス金照閣」としてリニューアルオープン。
1990年代初頭「金照閣」廃業。現在その跡地に、真言宗系の新宗教教団「 真如苑秋田支部」が建ち、名園と謳われた日本庭園はもう見ることができない。

金照寺山より金照閣跡「真如苑秋田支部」を望む 10.06
当初は入湯料が安く、近隣住民の銭湯代わりに利用された「金照閣」。夜のゴルフ練習場に忍び込み、散乱するゴルフボールを失敬するのが低学年の頃ブームになった。裏のあぜ道から入って遊んだ、手入れが行き届いた緑濃き日本庭園の眼を見張る景観。その後方に残っていた、春はドジョウを捕り、夏には蛍狩に興じた田園地帯は住宅地へと変貌をとげ、往時を顧みるよすがもない。
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