井戸替えの水神さまと七夕と

川端たぬき


新屋の湧水

かつては五百カ所を越える共同湧水と井戸が存在したという秋田市新屋の湧水。その湧水もいまは数えるほどで、飲料に適した水も少なくなった。

月遅れの七夕である八月七日は「井戸替え」の日。この日は井戸や湧水の水を抜き、きれいに掃除したあと、新屋日吉神社の神官が新調した「水神御幣」を水口に祀(まつ)り、一年のあいだ水が涸れることのないようにと水神さまに祈願した。


新屋の水神御幣


新屋の水神御幣

「井戸浚(さら)え」とも称した「井戸替え」は、水による禊祓(みそぎ・はらえ)にまつわる、盂蘭盆ともつながる七夕行事のひとつで、新屋の「水神御幣」に使われる五色の紙は、七夕に願い事をしたためて笹竹に飾り、翌日の早朝に穢(けが)れとともに川に流す「五色の短冊」に通じる。

土崎港で旧暦七月七日に行われた、大正時代の七夕のようすを伝える記事がある。
井戸さらえを一般に行われ、又桐の葉に七夕、天の川と書して河流に泛(うか)べ、婦人は早暁河水で髪を洗う習慣もあるため、雄物川畔は大した賑かさを呈したりき
大正六年『秋田魁新報』より
このように、年に一度井戸を清掃する「井戸さらえ」つまり「井戸替え」は七夕の行事として一般に定着していた。五色の短冊のかわりに、桐の葉に文字を書いて川に流すのが面白い。婦人が川で髪を洗うのは禊祓(みそぎ・はらえ)であり、男たちは川水を浴びて身を清めたものだろう。

昭和に入って新屋に新河口が開かれて以降、往時は七夕の行事で賑わいをみせた、土崎港に注ぐ雄物川旧河口は大きく姿を変えた。

月遅れの七夕が行われる八月は稲の成長期であり、その生長に欠かせない降雨を願う「水神祭」が執り行われた時期ともかさなり、「七夕の日は雨が降る」または「七夕の日に雨が降ると良い」「七夕の日に雨が降ると疫病が発生しない」などと言い伝えられてきた。

中国の伝説では、天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度のランデブーをする日として、アジア各地では七夕に雨の降ることを嫌うが、日本においては、七夕の雨は穢(けが)れを祓(はら)い、農作物や稲を育てる恵みの水として歓迎されてきた。

日本の七夕行事は、大陸から「星祭」としての七夕(しちせき)の風習が伝わり、それが民間に浸透する以前の、農耕儀礼的な「水神祭」の旧態を色濃く残している。

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