サミットで今年は二度のザキ(崎)祭り

川端たぬき

平成二十二年九月十二日
「全国山・鉾・屋台保存連合会」総会(通称・曳山サミット)秋田市土崎大会

心配された天候も日中は大きく崩れることもなく、土崎駅前神明社通りの電柱地中化により実現した15メートルの復元曳山をはじめとして、平常の祭りでは見ることのできないシーン満載の楽しいイベントであった。


復元曳山


復元曳山・見返し「限りなき 往時を偲ぶ 十五米」


置山

大正から昭和初期にかけての撮影と推定する固定の置山。観衆の服装からしてこれは“土崎の祭り”の置山ではなく、山王さんの祭り(八橋日吉(ひえ)八幡神社秋季大祭)の置山と思われる。

往時は曳山の高さを競い、20メートルを超えるものも運行されたが、明治後期、町角に電柱が建ち、電線が張られたことにより、曳山の高さが5メートル程に制限され、それ以降、置山にその面影を残すことになった。


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山


復元曳山



日も暮れて、神明社の鳥居前から土崎駅方面に向かう復元曳山。音頭上げの声、車輪のきしむ音、ジョヤサの掛け声、お囃子は御幸曳山(みゆきやま)で演奏される、ゆったりとした湊ばやし。







































































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Comments 3

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  • 2010/09/16 (Thu) 14:58
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fujita

毎回、興味深く、楽しく拝見しております。
さて、タイトルに使われている「ザキ」の表記についてです
が、最近若者を中心に「土崎衆」も使うこと多くなっており
ますが、若干の違和感をもっております。
私は土崎に生まれ育ちましたが、母の実家が上米町にあり、
母方のいとこはほとんどが大町周辺に住んでおりましたの
で、子供の頃によく土崎を「ザキ」と省略された記憶があり
残念なことに決して良い意味ではなかったと覚えておりま
す。
私は40代ですが、子供の頃、土崎の大人は「ザキ」とは言っ
ていなかったと思うのですが・・・・。
些細なことですが、秋田の人はどう思われますか?

  • 2010/10/04 (Mon) 13:05
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川端たぬき

中学生の頃から土崎を「ザキ」と省略して愛称的に日常会話で使っていましたが、確かに「ザキ」という響きには、なにか“さげすみ”のニュアンスが含まれているようにも感じますね。それは濁音の「語感」も影響していると思います。

港町を例にとれば、横須賀を「スカ」、横浜を「ハマ」と呼び、横浜衆を「ハマっこ」といったりしますね。これらは地元の人たちが略したのではなく、もともとは港に立ち寄る船乗りたちが仲間内で使った、古くからの略称であり愛称だったのかもしれません。土崎の「ザキ」も含めて。

大町周辺の外町に住んだ職人や商人たちの多くは、もともとは佐竹氏の町づくりのとき、土崎から移住した人たちなので、もしも「ザキ」を蔑称的に使ったとしても、それは比較的に最近のことなのでしょう。

> 最近若者を中心に「土崎衆」も使うこと多くなっておりますが、若干の違和感をもっております。

土崎の祭りの角燈籠にも「湊衆」の文字が躍っていたと記憶しています。「衆」を辞書で調べると「他の語の下に添えて、それに該当する複数の人に軽い敬意や親愛の情を表す語」とありますので、それ自体は下衆な言葉ではなく、ただ、自称というよりは、部外者が使う他称の感じが強いですね。


  • 2010/10/04 (Mon) 18:31
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