金座街の面影「金鳥園」駅前から撤退

2010.09
8月末(2010)、ペットショップ「金鳥園」が秋田駅前の公営駐車場一階から撤退した。創業年は定かではないが、金座街成立からの店であれば、60年以上この地で営業していたことになる。
ペットを買う余裕などない戦後間もない時代、贅沢なペットショップが成り立つわけもなく、もともとはヒヨコ・ニワトリおよび飼料・飼育器具などをあつかう「藤田養鶏店」として開業したようで、昭和32年の新聞に「新春より金鳥園と改名致しました」と広告している。
初期のシンボルマークは“卵から飛び出たヒヨコ”。「金鳥園」という店名は、「金萬」が“金座街饅頭”の略だったように、“金座街の鳥屋”ということだろう。

新聞広告 右・昭和32年 左・昭和45年
昭和40年代に入っても、主力商品はヒヨコをはじめとする鳥類。駅前に遊びに行くたび、店の奥にずらりと並んだ鳥籠のなかで、にぎやかにさえずる色とりどりの小鳥たちを鑑賞したり、九官鳥をからかったりするのが楽しみであった。
昭和30年代から40年代にかけての鳩ブームのときには、各種の鳩がケージの大半を占拠。昭和40年代の熱帯魚ブームの頃、古川掘端通りの堀端に「金鳥園・熱帯魚センター」オープン。同じ並びに貸しボートを兼業する「秋田水族館」もあったが、今はどちらも存在しない。

金座街・南端 昭和30年頃
左手に「金鳥園」のヒヨコ看板。その手前にみえる「まんじゅう」のノレンが下がる店は、酒饅頭(さかまんじゅう)が人気の「○〆(マルシメ)鎌田」の支店だろうか。ここはのちに菓子問屋「丸丹」が創業、晩期は「レアルたけや」と二階に「コーヒー・サボウ」が入った場所である。
その向かい角が“靴と傘なら”のキャッチフレーズでおなじみ、うさぎのマークの「協働社」。角館から秋田市に進出した記念すべき第一号店がこの金座街だったはず。当時は間近の銀座街と朝倉市場にも支店を置き、全県に薄利多売のチェーン店を倍々ゲームで広げつつあった。
「協働社」金座街店は、この地で永く営業をつづけ、晩期は同社が経営するコーヒー挽き売りチェーン店「UCCカフェ・メルカード」が入る。
秋田駅前再開発で金座街が消滅したあと、その地権者の多くが「本金西武」(現・秋田西武)に入居するが、動物を取り扱う店が敬遠されたためか、「金鳥園」は旧金座街の西側に新設された公営駐車場一階に入居。その店は金座街時代の店舗から、わずか西北へ移動した地点。

2010.09 「金座街」跡地・南端
左手に公営駐車場。現在のバスプールから買い物広場・アゴラ広場にかけてが旧金座街。
旧「金鳥園」駅前店に残された貼り紙によれば「昨今の時代の急激な変化により秋田駅前も様変わり致し、当駅前店も今後、新しい時代に合ったスタイルでお客様へご案内致す予定でございます」とのこと。余所で駅前店を再開する予定があるらしいが、金座街時代を知るものにとっては、この場所にこそ思い入れがあるのだ。
金座街時代はさえずる小鳥にみとれ、新店舗にもときおり立ち寄り、ケージの中の子犬や小猫のあいくるしい姿に心いやされた「金鳥園」。かつて金座街が存在した場所で、その街並の面影を偲ぶ唯一のよすがとして永い間ありつづけただけに、その閉店がことさらにさみしい。

2010.09 「金鳥園」八橋店
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金鳥園
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川反たぬきさん、今晩は。 今回は金鳥園さんですが、私も金座街のお店、記憶にあります。 現在であれば、周りが食品販売店、飲食店等があり、なかなか許可がおりないのでは無いか等と思う昔の商店街。 しかし、親に連れられて行った金座街はとても楽しい場所でした。 ご紹介有り難うございます。
協同社は同デパートの食堂の中華丼が私にとっての逸品でした。旨くて安くて早い、学生時代お世話になりました。