消えた昭和の灯・横町“すきま店”の終焉

2010.11
最近は夕刻から店を開く横町の木村商店のシャッターが降ろされたまま、閉店時も外に出ていた年季の入った陳列台も撤去されていた。気になって近所の人に尋ねたら、木村のおばあちゃんは至って元気だが、販売不振を理由に先ごろ店を畳んでしまったという。

2003.07
裸電球のもと、果物・菓子・おにぎり・パン・弁当などが所狭しと並ぶ小さな店。横町の名物店であった、24時間営業の木村商店のことを、僕らは「すき間みせ」と呼んでいた。
病弱な夫に代わって家族を支えるため、理容店と蔵のあいだのすき間(画像右手部分)を借りて、小さな露店を開いたのは戦後まもなくの頃。当初は深夜まで営業したわけではなく、売れないために店を開けていたら、次第に閉める時間が遅くなったというが、それが功を奏した。
ほとんどの商店が夕方には店を閉め、深夜営業のコンビニなどあるはずもない時代。夜遅くまで営業する小さな露店は、徐々に川反で働く人たちに知れ渡り、深夜になると仕事帰りのホステスや従業員、タクシーの運転手らがひっきりなしに訪れるように。ホステスへの差し入れに使うのか、高級メロンの箱がいつも棚の上に鎮座していた。

2005.10 バナナとスルメがいつもあった店頭

2005.11
やがて、夜から早朝までおばさんが店に立ち、昼は息子さんたちと交代する24時間営業体制に。70年代の最盛期には一日の売上げが30万円になったこともあり、中央の雑誌やテレビの情報番組で「日本でいちばん坪単価の売上げが高い店」として取り上げられたこともあったが、その後のコンビニの普及が影響して客足が遠のき始める。

2008.05

2009.04
今(2010)から二十年ほど前、隣接した旧理容店の一階を借り、壁を取り払って店舗を拡張するが、夕方から一人で店を切り盛りしていた最近は売上げも激減。昨年の暮れ、借りていた隣地を明け渡し、戦後間もない当初の小さな“すきま店”に回帰してから約一年後の静かな終焉であった。
数年前の新聞記事で、この店を「死ぬまでつづけたい」と語っていた、もうすぐ卒寿(90歳)を迎えるおばあちゃんにとって、人生を共に歩んだこの店を閉じることは、とてもつらい決断であったに違いない。永いあいだお疲れさまでした。
店の灯は消えても、裸電球の灯る横町の小さな店の想い出は、幾星霜、川反界隈を往き交った多くの人々の心に、いつまでも灯りつづけて消えはしない。

2009.08

2009.08

2009.12 最後は“すきま店”に回帰
_________
関連記事
二〇世紀ひみつ基地 横町のモダン理髪店跡・レトロ看板建築