消えた白亜の洋館

川端たぬき

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千秋公園の東側、大手門通りの堀端に建つ瀟洒な洋風建築。物心付いたころから前を通るたびに、なんとハイカラな御屋敷だろう、と眺めていた建物が先ごろ惜しくも解体されてしまった。

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解体前。老朽化のためかなり補修されているが、以前は白壁の美しい洋館だった。

この建物、昭和三十九年の住宅地図には「颯々荘」という風流な名が載っている。かつては旅館だったというが詳細は不明。建築は大正から昭和初期だろうか。ガラス窓の面積が大きく開放的な二階は、通りに面してテラス風に張りだし、壁から廂へと立ち上がる漆喰による優美な曲線が印象的だった。

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解体前。美しい曲線を見せていた軒下部分は、剥落のためかトタンで被われていた。

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解体前。お堀側から。

周辺地図

建物とお堀の間の小道を千秋公園へ登ると、左手に松風亭(旅館)、その向こうには市立美術館(現・佐竹資料館)があった。松風亭のお爺さんは合気道の師範で、ここで道場も開いていたが、廃業し今は更地になっている。

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Hitoshi
松風亭合気道場について

 秋田の合気道史と松風亭を調べていて、偶然こちらのブログに辿り着いた者です。「松風亭のお爺さん」とは家木弥太郎氏のことでしょうか?以下は私が合気道の先生から聞いている松風亭合気道場のお話です。(以下敬称略)

 松風亭合気道場は家木弥太郎が昭和三十八年、自宅旅館の敷地内に開設した、秋田で初めての合気道専門道場です。自ら道場長となり、また合気会秋田県支部も開設し支部長を兼任なさいました。現在秋田県の師範位の方々は、ほとんど例外なく、松風亭の敷居をまたいだ事があるはずです。

 当時本部道場師範で公式に十段位を授かることになる藤平光一を師範に、また丸山修二を婿養子に迎え指導を担当させました。御二方ともアメリカでの合気道の草分け的存在ですが、後に合気会を脱会されています。

 松風亭道場は諸般の事情により、開設後二年で閉鎖のやむなきに至りますが、昭和五十年以降に再開されています。そしてその後のことは未だ調べていません。

 秋田は合気道と非常に縁の深い土地です。合気会だけでなく、他の合気道団体での創設者や指導者が秋田県出身であることは決して珍しくありません。私は秋田の合気道史を紐解くことで、多くの事を学べると思っています。

  • 2007/04/10 (Tue) 22:18
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たふらんけ。

松風亭の道場には、いちど見学に伺ったことがあります。
あれは昭和四十六年か、四十七年でした。
当時は新聞に広告を出したり、
千秋公園の松風亭の近くに看板を立てたりと宣伝も活発で、
かなりの入門者が居たと思います。
自分も入門を決意して伺ったのですが、
そのときは縁を結べず、それきりになってしまいました。

  • 2007/04/10 (Tue) 23:55
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Hitoshi

たふらんけさん、コメントありがとうございます。

>松風亭の道場には、いちど見学に伺ったことがあります。
>あれは昭和四十六年か、四十七年でした。

ということは松風亭道場が再開したのは、昭和五十年以前となりますね。どうやら私に記憶違いがあったようです。失礼いたしました。

>当時は新聞に広告を出したり、
>千秋公園の松風亭の近くに看板を立てたりと宣伝も活発で、
>かなりの入門者が居たと思います
>自分も入門を決意して伺ったのですが、
>そのときは縁を結べず、それきりになってしまいました。

そうでしたか。昭和四十六、七年でしたら秋田県支部道場は別(朝倉道場)になっておりますが、それでも松風亭への入門者は多かったのですね。また入門者募集にも積極的に活動していたのが良くわかりました。当時の魁新報を調べれば、新聞広告も見つける事ができるでしょうね!

たふらんけさん、この度は貴重なお話が聞けて参考になりました。松風亭については私の趣味的な調査でしかありませんが、調査を通じて色々な人とお話することが出来るのが楽しいです。何か新しい発見があれば御報告できるかと思います。今後ともよろしくお願い致します。

  • 2007/04/11 (Wed) 23:19
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