そこに「秋田ニューシティ」があった・たそがれの街にて
さようなら「秋田ニューシティ」その2
◆「秋田ニューシティ」のある風景 2003~2011

2003.09

2004.03

2004.06

2005.09

2005.11

2007.06

2007.09
定時になると電子音楽を奏で、ピノキオ人形が回転する仕掛け時計が、1・2階吹き抜けのインナープラザ正面に設置されていた。それがこのように覆われてしまったのは、故障したものの修理費がかさみ、再生を断念したためか。

2007.09
平成19年(2007)8月、「秋田ニューシティ」裏の一角で営業していた「ミスタードーナッツ・秋田大町ショップ」撤退。

2008.10 広小路より

2009.08

2009.08

2009.08
昭和62年(1987)、「ファッションアベニュー AD」地階と「秋田ニューシティビル・ダイエー秋田店」地階を連絡する地下道完成。当初はイベント広場としても活用され、完工記念として「外町商店街の歴史今昔写真展」が開催された。

2009.10

2010.02

2010.02
インナープラザにおける最後の展示。上階および地階はすでに閉鎖。

2010.02

2010.04

2010.04 旧金子家住宅の天水甕越しに

2010.05 一丁目小路より

2010.05 上肴町より

2010.06 イーホテルショッピングモール内「辻兵」
ギフト&スクールウェアの「辻兵」、隣接の「イーホテルショッピングモール」(旧・ファッションアベニュー AD)2階に移転。

2010.06

2010.08
シースルー・エレベーターの前にザクロの木。印象的な銅板葺きの半アーチ型アーケード。壁面からカーブを描いた三段の、船舶の甲板を連想させる装飾的突起が、外観にアクセントを添えている。

2010.08

2010.08

2010.08

2010.08

2010.09

2010.11

2011.03

2011.03

2011.03
◆「秋田ニューシティ」の無い風景 2011

2011.04

2011.05

2011.05

2011.05
バス停留所「秋田ニューシティ前」の名は「大町通り」と改められ、入口の郵便ポストも消えたが、つい先日まで「秋田ニューシティ」地階と「イーホテルショッピングモール」(旧・ファッションアベニュー AD)地階を連結していた地下道から立ち上がる出入口だけが、広大な空き地の片隅にアンバランスに取り残されて、なお一層の寂しさを誘う。
どうせならば撤去したほうがすっきりするのだが、地下道が一社の所有物ではなく共有の施設であることと、将来の再利用をも少しは考慮して残されたものかもしれない。
今は無用の地下道出入口は、かつてこの地に存在した構造物と、光り輝いていたその時代を記憶するモニュメントと化した。


_________
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二〇世紀ひみつ基地 1981「ダイエー秋田店・秋田ニューシティ」オープン
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関連リンク
秋田ニューシティ - Wikipedia
秋田大町ニューシテー - Wikipedia
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2003.09

2004.03

2004.06

2005.09

2005.11

2007.06

2007.09
定時になると電子音楽を奏で、ピノキオ人形が回転する仕掛け時計が、1・2階吹き抜けのインナープラザ正面に設置されていた。それがこのように覆われてしまったのは、故障したものの修理費がかさみ、再生を断念したためか。

2007.09
平成19年(2007)8月、「秋田ニューシティ」裏の一角で営業していた「ミスタードーナッツ・秋田大町ショップ」撤退。

2008.10 広小路より

2009.08

2009.08

2009.08
昭和62年(1987)、「ファッションアベニュー AD」地階と「秋田ニューシティビル・ダイエー秋田店」地階を連絡する地下道完成。当初はイベント広場としても活用され、完工記念として「外町商店街の歴史今昔写真展」が開催された。

2009.10

2010.02

2010.02
インナープラザにおける最後の展示。上階および地階はすでに閉鎖。

2010.02

2010.04

2010.04 旧金子家住宅の天水甕越しに

2010.05 一丁目小路より

2010.05 上肴町より

2010.06 イーホテルショッピングモール内「辻兵」
ギフト&スクールウェアの「辻兵」、隣接の「イーホテルショッピングモール」(旧・ファッションアベニュー AD)2階に移転。

2010.06

2010.08
シースルー・エレベーターの前にザクロの木。印象的な銅板葺きの半アーチ型アーケード。壁面からカーブを描いた三段の、船舶の甲板を連想させる装飾的突起が、外観にアクセントを添えている。

2010.08

2010.08

2010.08

2010.08

2010.09

2010.11

2011.03

2011.03

2011.03
◆「秋田ニューシティ」の無い風景 2011

2011.04

2011.05

2011.05

2011.05
バス停留所「秋田ニューシティ前」の名は「大町通り」と改められ、入口の郵便ポストも消えたが、つい先日まで「秋田ニューシティ」地階と「イーホテルショッピングモール」(旧・ファッションアベニュー AD)地階を連結していた地下道から立ち上がる出入口だけが、広大な空き地の片隅にアンバランスに取り残されて、なお一層の寂しさを誘う。
どうせならば撤去したほうがすっきりするのだが、地下道が一社の所有物ではなく共有の施設であることと、将来の再利用をも少しは考慮して残されたものかもしれない。
今は無用の地下道出入口は、かつてこの地に存在した構造物と、光り輝いていたその時代を記憶するモニュメントと化した。


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秋田ニューシティ - Wikipedia
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