小鳥のおみくじ芸・伝統の見世物

川端たぬき

千秋公園のお花見の露店だったろうか、子どもの頃、小鳥使いのおじさんがあやつる「小鳥のおみくじ芸」を見た。

舞台はミニチュアの神社。硬貨をくちばしで受けとった小鳥が参道を進み、さい銭箱にお金を落とし、お宮の鈴を鳴らして扉を開けて中に入り、おみくじをくわえて出てくる。足でつかんだおみくじをくちばしで開封して一仕事終えた小鳥は、おじさんの手から、ご褒美の餌をもらって鳥カゴにもどる。そのかわいらしい一連の仕草に目が釘付けになった。


『ヤマガラの芸』(小山幸子著 法政大学出版局 1999)より

学習能力が高いヤマガラを飼い慣らし、芸を仕込み見世物とする「ヤマガラの芸」は江戸時代にはじまったという。芸の種類は「鐘つき」「つるべ上げ」「那須の与一」「かるたとり」「つな渡り」などさまざま、最後まで残っていた「おみくじ引き」は、昭和に入ってから流行したものらしい。

 明治10年代に来日、大森貝塚を発掘したことで高名な、アメリカの動物学者エドワード・S・モースは、浅草でヤマガラの見世物を見物、そのスケッチを著書に残している。そのなかから三点を引用。


『日本その日その日 3』 (エドワード・S・モース著 石川欣一訳 平凡社東洋文庫)より(以下同)

鈴を鳴らし、さい銭箱にお金を入れる「お宮参り」。



太鼓や三味線をつつき、鈴を振り廻す「楽器演奏」。



弓を射て扇の的を落とす「那須の与一」。
金沢なる浅野川の磧(かわら)は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。この節を機として、諸国より入り込みたる野師らは、磧も狭しと見世物小屋を掛け聯(つら)ねて、猿芝居(さるしばい)、娘軽業(かるわざ)、山雀(やまがら)の芸当、剣の刃渡り、活(い)き人形、名所の覗(のぞ)き機関(からくり)、電気手品、盲人相撲(めくらずもう)、評判の大蛇(だいじゃ)、天狗(てんぐ)の骸骨(がいこつ)、手なし娘、子供の玉乗りなどいちいち数うるに遑(いとま)あらず。
泉鏡花『義血侠血』(明治27初出)より
※「野師」=「香具師(やし)」=「テキ屋」


『浅草公園 花やしき』(大正期)

牡丹と菊細工を主とした花園(植物園)として嘉永6年(1853)に誕生した、日本最古の遊園地とされる浅草「花やしき」。明治初年から遊戯施設が置かれ、珍獣・猛獣が飼育された「花やしき」でも「ヤマガラの芸」が評判を呼ぶ。


『浅草公園 花やしき引札』より「山がら奇芸」

「鐘つき」「那須の与市扇の的」「宮参り」「競馬の場」などの演目のなかに、「占考場」と名付けられた、紙のおみくじではなく、筮竹(ぜいちく)を使った「うらない」芸が描かれている。

▲昭和30年撮影・ヤマガラのおみくじ

二番目の動画でヤマガラは、参道の前で幟旗(のぼりばた)を掲揚してからお宮に向かっている。

▲ヤマガラの芸ーその4 おみくじ芸

こちらはヤマガラの「おみくじ芸」の再現。

動画主のコメントに
芸を仕込むのに1年かかりました。ヤマガラに芸を教える事は、現在は法律に触れるかも知れません。しかしこの芸を教える過程を通じ、私はヤマガラが持つ特異的な動作や本能を学びました。芸を完成させるのに約一年かかりましたが、その分、愛情も深まりました。そして今頃は、私の田舎で元気に飛び回っていることでしょう。
とあるように、現在は鳥獣保護法により和鳥類の捕獲・飼育が禁止されたこともあって、 日本独自の文化であるヤマガラの芸はすたれ、その姿を記憶する者も少なくなってしまった。

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ヤマガラの芸 文化史と行動学の視点からヤマガラの芸 文化史と行動学の視点から
(1999/09)
小山 幸子

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