旅する唱歌「仰げば尊し」和魂洋才
卒業式ソングの定番「仰げば尊し」は作曲者不詳の楽曲で、スコットランド民謡を原曲とする説もあったが、文部省唱歌と定められてから百数十年の時を経た昨年(2011年)の1月、ついにその原曲が発見されたとのニュースが流れた。
「あおげば尊し」原曲の楽譜発見 19世紀米国の歌
卒業式でよく歌われてきた唱歌「あおげば尊し」の原曲とみられる米国の歌の楽譜を、一橋大名誉教授(英語学・英米民謡、歌謡論)の桜井雅人さん(67)が24日までに発見した。研究者の間で長年、作者不詳の謎の曲とされていた。
桜井さんによると、曲名は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」。米国で1871年に出版された音楽教材に楽譜が載っていた。直訳すると「学校教育の終わりのための歌」で、友人や教室との別れを歌った歌詞という。作詞はT・H・ブロスナン、作曲はH・N・Dと記されていた。
旋律もフェルマータの位置も「あおげば尊し」と全く同じという。桜井さんは約10年前から唱歌などの原曲を研究。何十曲もの旋律を頭に入れ、古い歌集や賛美歌などを調べていたところ、1月上旬に楽譜を見つけた。
桜井さんは「日本にはたどれる資料がなく、今の米国でも知られていない歌。作詞・作曲者の実像など不明な点も多く、今後解明されればうれしい」と話している。
2011/01/24 21:37 【共同通信】
「あおげば尊し」原曲の楽譜発見 19世紀米国の歌 - 47NEWS より
▲1871年(明治4年)『THE SONG ECHO』より
Song for the Close of School 原詩
We part today to meet, perchance, Till God shall call us home; And from this room we wander forth, Alone, alone to roam. And friends we've known in childhood's days May live but in the past, But in the realms of light and love May we all meet at last.
Farewell old room, within thy walls No more with joy we'll meet; Nor voices join in morning song, Nor ev'ning hymn repeat. But when in future years we dream Of scenes of love and truth, Our fondest tho'ts will be of thee, The school-room of our youth.
Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear; The tie is rent that linked our souls In happy union here. Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye; Ah, 'tis a time for fond regrets, When school-mates say "Good Bye."
直訳
私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。 そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。 幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。 しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。
さよなら古き部屋よ、汝の壁の内で、楽しく集うことはもう無い。 朝に声を揃えて歌うことも、午後の賛美歌も、もう繰り返すことはない。 だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。 私たちの最も大切な思い出は、汝、幼き日々の教室となるのだろう。
さよなら私たちがかく愛した汝よ、さよなら親愛なる級友たちよ。 私たちの魂を、幸せなひとつの繋がりとしてきた絆は解かれた。 私たちの手は固く握られ、心は満ち、そして目には涙をたたえ。 ああ、これぞ惜別の時、級友たちの言葉は「さよなら」。
▲明治7年 文部省発行『小学唱歌集 初編・三編』より「仰げば尊し」
仰げば尊し
仰げば 尊し 我が師の恩 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ) 思えば いと疾(と)し この年月(としつき) 今こそ 別れめ いざさらば
互(たがい)に睦し 日ごろの恩 別るる後(のち)にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ 励めよ 今こそ 別れめ いざさらば
朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓 蛍の灯火 積む白雪 忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月 今こそ 別れめ いざさらば
教育の近代化(西洋化)に取り組んだ明治政府は、明治12年文部省に音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)を設置。教育家・伊沢修二を中心に、アメリカにおける伊沢の音楽の師であったルーサー・メーソンを招聘して音楽教育プログラムの開発を行い、明治14年、日本初の官製唱歌集『小学唱歌集・初編』を出版する。
「仰げば尊し」のほかに、スコットランド民謡で賛美歌が原曲の「蛍の光」、ドイツ民謡が原曲の「蝶々」、賛美歌の旋律を用いた「見わたせば(むすんでひらいて)」など、初期の「唱歌集」におさめられた楽曲の多くは、外国の民謡や賛美歌に日本語詩をつけたもので、当時の子どもたちは、それまで耳にしたことのない西洋音階をつかった楽曲に対して違和感をおぼえ、「まるで耶蘇(ヤソ=キリスト教)の歌のようだ」という感想を持ったという。
日本の唱歌は日本の統治下にあった韓国・台湾など各地の学校でも唄われていた。終戦後、台湾では「仰げば尊し」を台湾語に変えて唄い継ぎ、現在も卒業式ソングとして定着している。
- 関連リンク
- 仰げば尊し - Wikipedia
- 冬冬的假期.avi - YouTube 映画「冬冬(トントン)の夏休み」(1984台湾)より、冒頭の卒業式シーン