版画家・池田修三の軌跡・1950s~1990s

川端たぬき

象潟町出身の版画家・池田修三(1922~2004)が、秋田県のPR誌「のんびり Vol3」で特集され、郷里の象潟公会堂で作品展が開催されるなど、今、その作品がスポットライトを浴びている。

検索キーワード「池田修三」で当ブログを訪れる閲覧者も増えたこの機会に、前回掲載した初期作品も加えて、昭和から平成に到る修三版画の軌跡をまとめてみた。

無料配布のPR誌「のんびり」は以下関連リンク先でも閲覧可能。

関連リンク
のんびり のんびりまっすぐ秋田のくらし
象潟郷土資料館

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▼秋田「聖霊学園」教職時代

まず最初に秋田市のミッションスクール「聖霊学園」で教師をしていた、昭和29年前後の習作から。太平山の山並みや、聖霊の女学生をモデルにした作品もある。


太平山

04池田修三

01池田修三

02池田修三

03池田修三

05池田修三

中央で陰陽に反転した「うなだれる群像」。これもまた修三の一面。

06池田修三
肉筆スケッチ

07池田修三
挿絵・聖霊学園学報『秋聖新聞』昭和29年3月1日発行号より


▼版画家時代・モノクロ主体からカラフル&ポップに

以降は「聖霊学園」を退職、上京して版画家に転向してからの作品。初期のモノクロ作品に最も魅力を感じる。

作風は徐々にカラフルに、ポップで童画風なものに変容してしてゆくのだが、作品の根底を流れる、どこか哀愁をおびた通奏低音は、最後まで変わらなかった。

22池田修三 No41 1956
No.41 1956

諦観を表すかのように、うつろな眼をした女の体に残る痛々しい傷跡は、作家の「自傷=自己否定」の痕跡か。

 08池田修三 No404 1960
No.404 1960

10池田修三 No501 1962
No.501 1962

観る者を射る反抗的な眼が好き。

11池田修三 No588 1964
No588 1964

「母親の腕に抱かれる赤子」にも、「子宮の中で眠る胎児を慈しむ妊婦」にも見える両義的作品。

12池田修三 うさぎ 1964
うさぎ 1964

13池田修三 秋果 1964
秋果 1964

14池田修三 あつまれ 1966
あつまれ 1966

この時期に制作された数点に、影法師のような「黒い子どもたち」が登場する。

はじめてそれを観たとき、この世のものではない、人の目には見えない存在を表現していると感じた。幼くして天に召された子ら、または産声をあげることもなく消えた命、もしくは天使的存在。

「旗を持つ子どもたち」は修三版画にしばしば登場するテーマ。はためく「旗」は「不可視な風を視覚化する装置」でもあるから、背景のない空間で髪をなびかせて遊ぶ子どもらは、実体を持たない「風の子」である。

15池田修三 輪おどり 1966
輪おどり 1966

16池田修三 雪 1973
雪 1973

17池田修三 三色すみれ 1982
三色すみれ 1982

秋田相互銀行(秋田あけぼの銀行と改名後、羽後銀行と合併、北都銀行となる)のカレンダーや通帳に修三の版画が使われていた80年代の作品。

銀行のグッズに採用されたことで、秋田県民にとって修三版画の少女たちは、どこかで見覚えのある、なつかしい存在となっている。作者の名は知らずとも。

18池田修三 旗の行列 1987
旗の行列 1987

19池田修三 最上川初夏 1992
最上川初夏 1992

20池田修三 こばと 1994
こばと 1994

21池田修三
年代不詳

23池田修三

平成5年(1993)の案内状。裏には菜の花と鳥海山。これが秋田における最後の個展だったかもしれない。

池田修三(1922~2004)版画家

大正11年(1922)、由利郡象潟町生まれ。東京高等師範学校(現・筑波大)卒業後、秋田県立由利高校で6年、聖霊学園(秋田市)で3年間教職を務めた後、昭和30年(1955)退職し上京、木版画に専念。少女や子どもたちの居る情景を得意とした。

1957 日本版画協会展出品・受賞
1959 現代版画コンクール展・受賞
1968 ビストイア(イタリア)版画ビエンナーレ展
1977 日本版画協会、退会

主な海外の版画展 
アメリカ・オルゴン大学展
ニューヨーク・セントジェームス教会展
シカゴ・メンストリートギャラリー展
百点の日本現代版画アメリカ巡回展
イタリア・花のビエンナーレ展

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